『「世界史の構造」を読む 』(柄谷行人)を読む※ただの書評です

『「世界史の構造」を読む 』(柄谷行人他)を読みました。

これは柄谷行人の本というよりも対談本です。

対談相手は大澤真幸、苅部直、岡崎乾二郎、奥泉光、島田雅彦、佐藤優、山口二郎、高澤秀次らです。

人によっては錚々たるメンバーかもしれませんが、分からない人は???という感じでしょう。私も知らない人が多いです。

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「世界史の構造」を読むは「世界史の構造」を読んでないと分からないのか?

『「世界史の構造」を読む 』の前にそもそも「世界史の構造」という本があります。

こちらは柄谷本であり、これを買うならまず「世界史の構造」を買った方が良いでしょう。

ただ「世界史の構造」は柄谷曰くはじめての体系的な本ということで読むのが大変です。

「世界史の構造」は分厚いですし、理解が進まない本です。

ページ数が多く暇な人が読む本ですので注意が必要です。

最近の左翼は何を考えているのか?

「世界史の構造」もそうですがこの『「世界史の構造」を読む 』を読んでみると、最近の左翼が何を考えているのか?の一端が分かるかもしれません。

今や(怒られると思うが)世の中にはメチャクチャな内容の”ネトウヨ本”が氾濫していて、うっかりと「左翼」や「世界同時革命」などという話をするのは憚られるでしょう。また左翼的な言動は世の中とズレていると思います。「世界同時革命」については頭がおかしいと言われるでしょう。

そういうこともあってか最近の左翼が一体何をやっているのか?何を考えているのか?はほとんど世間的には知られていません(断言・私もそんなに知らないですが笑)。

この本を読む意義とは左翼が今一体何を考えているのか?を理解する一助になると言えるかもしれません。

9条教を支えているのは柄谷なのか?

ネトウヨ本(※本当は読んだことがない・笑)やネットの保守系動画などでは憲法9条を守ろうとしている人たちを9条教(9条教信者)と呼んでいるようです。

今日でもネットを見るとそういった言説で溢れています。

そんな9条教の精神的支柱とは一体何なのか?

この一人は柄谷行人かもしれません。柄谷は9条を変えてはならないと以前より主張しています。いやむしろ徹底的に憲法9条を実行せよと主張するのです。何なら自衛隊も解散して武力を放棄したら良いまで突き抜けた議論をしています。

ネトウヨや保守思考が全盛な現代日本においては柄谷の主張は真逆の物言いであり、批判の的になるようなことしか言っていません笑。

しかし(多分)柄谷行人は世間のことなんて興味ないし、知らないでしょう。彼は世間なんてどうでもよくて、憲法9条を実行し憲法9条を贈与せよと言うわけです。今の世代にとっては何を言っているのかさえ理解できないくらいにかけ離れていると言えます。

山口二郎と対談する柄谷行人

またネット右翼や自称保守のような人たちに嫌われている山口二郎と本の最後に対談しているのですがやや際どい内容になっています。

本人同士は何でも無い内容でしょうが、例えば「成長戦略ではなく衰退戦略を」といった項があり、これは現在の日本経済についての話になりますが確実に批判の標的となるような内容になっています。

日本はもう成長できないといった話は批判を免れないでしょう。昨今の経済評論を聞きかじった人たちは嬉々として論破しようとするに違いありません。

しかしながら長い目で見ると世界経済が今後も成長し続ける保障はありませんし、「成長戦略ではなく衰退戦略を」が100%間違っているとも言えないでしょう。柄谷行人の場合は資本主義経済については一貫して瓦解する可能性について言及しているのです。

これはマルクス的な視点だと言えますね。

経済評論とは時評的なもので今をテーマにしているので話は噛み合いません。

柄谷行人の言っていることは思考上のものに過ぎない?

私個人としては柄谷行人の言っていることは思考上のものだと受け止めています。

例えば「軍事的な主権の贈与」(柄谷)などというウルトラ左翼的な提言は今の若い世代には確実に受け入れられることができない話でしょう。軍隊(自衛隊)を放棄するなんてそんなバカなということですね。

しかしこれをまともに受け取る必要はないのです。考え方として贈与という交換様式があって、それを受けることで相手はお返しをしないといけなくなるんだといった話なのです。言ってみれば理論的な話です。

またかつて柄谷行人がトランスクリティークを書いた後に突如としてNAM(New Associationist Movement)と称して、左翼的な運動を始めたことが思い出されます。これは事情があって途中で解散となったのですが、本気で共産主義的な運動として参加した人たちもいたようです。

当時、私はこの話を聞いた時にこれは一つの思考実験的なものだと思いました。柄谷自身は後年に「(ソ連崩壊→左翼も崩壊した後に)何でもいいからやってやろうと思った」と言っていたようですが。

参加して解散になってしまった人たちにとっては本当に困った話だったに違いないでしょう。しかし、柄谷行人がやっていることは思考上のことであり、余り本気になってのめり込むような性質のものではないと感じられます。また「積極的に何かを言わなければいけなくなった」だけだと思います。

「世界史の構造」についてもそのようなことが言えます。これは運動としてではなく言論活動に戻っていますが思考上の話であって、別に交換様式Dを根拠として行動しなさいという訳ではないのですね。

ですから本気で日本が憲法9条を実行して、「軍事的な主権の贈与」をするべきだと考える必要性もないでしょう。結局、考え方としてはそういうのもあるよねという風に捉えるべきです。

ただ議論の中身としてはそういったことが世界で同時的に起これば、まさに世界同時革命が起こる。だから柄谷は日本が最初にそれを行うべきだと言っています。

しかしそれは今じゃないです。理論的に可能だという話です。

いつかそういった考え方が実行される時が来るかもしれないね、と私達は世の中を眺めていくしかないと思うのです。

おすすめ度…★★(5点満点)

余り印象に残っていない本なので2点